ソニーの歴代の社長(CEO)一覧

名前 説明
前田多門
(まえだ・たもん)

1946年5月~
1950年11月

前田多門
創業者の一人、井深大の義父。 戦前、戦中のエリート官僚。敗戦直後に文部大臣に就任したが、公職追放となっていた。

まだ若かった井深と盛田昭夫がソニー(当時:東京通信工業)を設立するにあたり、 初代の社長として迎え入れられた。 やや名誉職のような立場だった。

とはいえ、幅広い人脈を活かし、有力財界人を婿の井深に紹介するなどサポートを行った。 初期の製品を官庁などに売り込む役目も担った。 就任当時62歳。

ソニーは、社長が前田、専務が井深、常務が盛田という体制でスタートした。
井深大
(いぶか・まさる)

1950年11月~
1971年6月

井深大
第2代社長。ソニー創業者。技術者としてテープレコーダーやトランジスタラジオ、WALKMANなど世界初の革新的な商品を数多く生み出した。

早稲田大理工学部卒。パリ万博で優秀賞を受賞、天才発明家として脚光。戦前から企業経営に携わり、戦時中は海軍で兵器開発。1946年東京通信工業設立の趣意書で「理想工場の実現」を説いた。1997年死去。
盛田昭夫

1971年6月~
1976年1月

盛田昭夫
第3代社長。ソニー創業者。技術者ながらも「世界のセールスマン」として、下請けメーカーになるまいとSONYの4文字を冠した商品を世に広めた。

大阪帝大理学部卒。尾張の造り酒屋に生まれ、海軍時代に井深氏と出会う。盛田家は長年実質オーナー。ソニーを世界に売り込み、欧米で最も知られた経済人だった。経団連会長目前に病いに倒れ、1999年死去。
岩間和夫

1976年1月~
1982年9月

岩間和夫
第4代社長。創業期の技術陣をリードし、トランジスタやCCDを生み出した。1954年に渡米した際にまとめた「岩間レポート」が半導体研究の礎となった。

東京帝大理学部卒。1976年社長就任。盛田昭夫氏の義弟。エンジニアとして井深氏を支え、CCD開発を指揮。1970年代にコンピュータ時代の到来を予見し、プロジェクトを立ち上げた。社長在職のまま1982年に急逝。
大賀典雄

1982年~
1995年

大賀典雄
第5代社長。東京芸大音楽部卒。在学中に、電気や機械についての才覚を井深大と盛田昭夫に見込まれ、ソニーの嘱託社員となった。 ベルリンに音楽留学。CD技術を拡大発展させた。

1982年社長就任。製品デザインを洗練させた立役者で、プレステ立ち上げにも尽力。2001年11月末、北京で東京フィルを指揮中に倒れる。
出井伸之
(いでい・のぶゆき)

1995年4月~
2005年6月

出井伸之
第6代社長。デジタル・ドリーム・キッズなどのコンセプトを提唱し先進的な経営者ともてはやされた。後半は業績を悪化させ、責任を問われ退陣させられた。

実父は早大政経学部の教授で自身も稲門をくぐる。ソニー入社後は外国部に配属、フランス法人設立に参加。1980年代にパソコン事業を手掛けるが失敗。担当事業部長として「ベータ」撤退も指揮した。1995年に社長就任、2000年会長兼CEOに。
ハワード・ストリンガー

2005年6月~
2012年4月

ハワード・ストリンガー
初の外国人トップ。第9代社長。ジャーナリスト出身という異色の経歴の持ち主。グループが一致団結すべきと「ソニーユナイテッド」を提唱した。

 ソニーとの縁は、1997年に米国現地法人の社長となってから。 その前には、米CBSテレビでドキュメンタリー制作に携わるなど、マスコミ界での経歴は約30年と長かった。

ソニーの映画、音楽などエンターテインメント部門への進出に、貢献が大きかったことが抜てきにつながった。  ユーモアを忘れない気さくな人柄。米国ソニーの元同僚が「最高の外交官」と形容する交渉力が、ハリウッドや音楽業界相手の難しいビジネスを成功に導いた。
平井一夫

2012年~
2018年

平井一夫
不振の電機事業のリストラに取り組んだ。 その結果、採算性の改善という点において、一定の成果を挙げた。 グループ全体の業績も安定させた。

とはいえ、取り組んだ内容といえば、 事業の売却・撤退やコスト削減などが中心だった。 ソニー本来の特技だった革新的な新規事業の立ち上げという面では、 目立った実績はなかった。

グループ経営の中枢に加わるまでは、 長年にわたり、アメリカでゲーム機「プレイステーション(プレステ)」を担当していた。 1994年のプレステの立ち上げ当初から、 米国ゲーム子会社に赴任。 プレステ事業を立ち上げた久夛良木(くたらぎ)健氏(後のソニーCOO)の海外における右腕として、 ゲーム事業の世界的な大成功に貢献した。

国際感覚とコミュニケーション能力に長けたソニーらしいリーダーだった。 後任社長への権限移譲もスムーズだった。

もともと子会社のソニーミュージックの社員として就職した。 ソフトとハードの両方が分かるという点でも、適任だったといえる。
吉田憲一郎

2018年~

吉田憲一郎


社長にはなったが、CEO(経営トップ)にはならなかった人

名前 説明
安藤国威 安田講堂の攻防戦があった1969年に東大経済学部を卒業。ソニー入社早々、創業者・盛田昭夫氏の秘書に。ソニー・プルデンシャル生命立ち上げの中心メンバーとして活躍。北米の製造統轄責任者を務めてから帰国後、パソコンの「バイオ」シリーズを成功させる。2000年、社長兼COOに就任。


ソニーの歴史
主な商品・出来事
1946年 東京通信工業(現ソニー)設立
1950年 国産初のテープレコーダー発売
1955年 国産初のトランジスタラジオ発売
1958年 ソニーに社名変更
1960年 世界初のトランジスタテレビ発売
1963年 世界初のトランジスタ小型VTR発売
1968年 トリニトロンカラーテレビ発売
CBSソニーレコードを設立
1975年 家庭用ベータ方式VTRを発売
1979年 「ウォークマン」発売
1982年 CDプレーヤー発売
1985年 カメラ一体型8ミリビデオ発売
1987年 デジタルオーディオテープ(DAT)デッキを発売
1989年 米コロンビア映画(現ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)を買収
1992年 MDシステムを発売
1994年 「プレイステーション」発売
1997年 DVDプレーヤー発売
パソコン「VAIO」発売
1999年 ペット型ロボット「AIBO」発売
 

ソニーにおける「CEO」

ソニーで公式にCEOの称号を使い始めたのは故盛田昭夫氏。1976年1月に社長から会長に就任する時、同時にCEOとなった。この時、後任の社長である故岩間和夫氏もCOOになっている。これは社長を退任した後も、実質的なトップの地位は盛田氏であることを内外に示したものだ。

以来、CEOは実質的なグループの総帥の地位を示す称号として、会長・社長以上の意味を持っている。大賀典雄氏は社長在任中の1989年に、盛田氏からCEOを引き継いだ。これを現在の出井伸之氏が継承したのは1999年。出井氏はこの2000年6月に会長になったばかりだが、ソニーの総帥としては就任2年目ともいえる。

米国企業でもそうだが、CEO、COOという称号は役割分担を示すものではなく、企業としての権限序列(ナンバー・ワン、ナンバー・ツー)を示すものだ。ソニーは周知のように、取締役会と執行役員の役割を分離している。出井氏を例に説明すると、「執行役員会長」として経営にあたり、「代表取締役」として他の執行役員を監督し、さらに「CEO」としてソニーグループを代表するという立場にいる。

同じことはCFOについてもいえる。米国ではCFOは「財務担当」という本来の意味から、CEO、COOに次ぐ「ナンバー・スリー」を示すものに変質してきた。ソニーが2000年4月に徳中暉久副社長をCFOに任命したのも、こうした意味合いが強い。徳中氏は、企業買収や出資などの戦略を担当するものの、経理の専門家ではない。

ただ、こうした米国流の呼称は日本ではまだ理解されていない。このためソニーでは、CEOなどが同時に「代表取締役」になることで、経営のトップチーム3人を明確化している。