ソニーの大曽根幸三氏

ウォークマンは当初、「カセット」用だった。

ウォークマンの記録達成について、ソニーのオーディオ事業本部長である大曽根幸三専務(当時)は、「AV不況に動揺して、安くて売りやすい製品を出そうとしてはいけない。高くても売れるもの、本物の製品を開発しなければならないことをウォークマンは教えてくれている」と語った。

軽量小型。低価格路線を取らず

ウォークマンが売り出されて間もない1980年代初め、家電業界はAV不況に見舞われた。このとき、ライバルメーカーが低価格の機種で追撃してきた。

これに対して、ソニーは「ジャスト・カセットサイズ」という軽量小型の新製品を開発した。その後も低価格路線を取らず、1988年にはCDウォークマンとビデオウォークマンを売り出した。

3つの工場で生産

1993年当時、ソニーは、ウォークマンを3つの工場で生産していた。国内の子会社「ソニーボンソン」の工場と、台湾、マレーシアの合弁工場の計3か所だった。

ラジオチューナー付きや、海辺でも使える防水タイプなど、さまざまな機能が出てきた。約80機種にまで品ぞろえが広がっていた。

広告、宣伝はせず

ソニーは、ウォークマンの1億台突破で、ことさら祝賀行事や、広告、宣伝を考えていない。「1億台は、次の2億台への単なる通過地点」と、大曽根専務は語った。

音響・映像(AV)機器は深刻な不況下にあった。次のヒット商品の開発に懸命な担当者には、ウォークマンの成功が教訓になった。


iPod

一方、アップルのiPodは2001年11月に発売された。それまでの携帯型音楽プレーヤーにはなかった大容量のハードディスクドライブを備え、シンプルなデザインや操作性などが人気を呼んだ。

その後、iPodは動画やゲームなども楽しめるようになった。やがて、スマホ(携帯電話)のiPhoneと統合された。

スマホに主役の座を奪われる

iPodやスマホの登場によって、ソニーのウォークマンは完全に落ちぶれた。音楽を聴く道具(ガジェット)の主役の座から転落した。

コンピューター会社として1977年に設立されたアップルは、マイクロソフトの基本ソフトなどに押され、一時は経営難に陥った。iPodの大ヒットが「復活」を決定づけることにもなった。